【六道利生の地蔵尊】

(通称 平尾追分地蔵)といい、
道中の守護をしていた尊蔵で、
享保四年(1719年)に約200名の結集により建立されました。

このお地蔵は、
平尾追分(現在の板橋3丁目辺り)に安置されていましたが、
明治に入り当寺に移されました。

全高3mになる、区内最大級の石造物です。
磁石部分にある寄進者の名を見ると、
板橋宿や加賀下屋敷関係者の名が見られ、多様な人々が、
亡くなった家族の後生を祈るために建立したことがわかります。
板橋の文化財産登録物です。


【青面金剛増を刻んだ庚申塔】

この塔には、
日像、月像、二童士、四夜叉、
一猿一鶏、二鬼のすべてが刻まれています。
おそらくは、全国で最も勝れた庚申塔であると思われます。

寛文二年(1662年)建立のもので、
高さは2m近く、
板橋区の文化財一回目に指定された石塔です。

この石塔は、
東光寺の僧と宿場の旅籠の主人と思われる人達の造立で、
経済的な豊かさが偲ばれる石造物です。


【宇喜多秀家の供養塔】

関が原の戦いに敗れ、
八丈島に流された秀家の子孫が
明治二年、内地に帰り
秀家の妻の実家の縁で
前田家の下屋敷地を開拓した時に建立したものです。

正面には「秀家卿」と刻まれています。
これら三塔は、
いずれも板橋宿の昔を語る貴重な石造物です。